明治41(1908)年4月、福井市立福井商業学校として創立された我が福商は、平成19(2007)年に創立100周年を迎えました。
福井市の中心部、宝永地籍に明治中頃の実業教育塾の高まりの中で、明治41(1908)年4月23日に産声をあげた、福井市立福井商業学校。 以来、近代産業の充実発展とともに、商業教育は目覚しく進展し昭和5(1930)年4月、生徒数の大幅増に伴って創建の地から西北に位置する現在地へ拡張移転。北陸最大の野球スタンドも 設置され、昭和11(1936)年には福商野球部として甲子園に初出場し、福商の名を一躍轟かせました。
しかし太平洋戦争(昭和16年〜昭和20年)や福井大震災(昭和23年)の暗雲は、商業科募集の停止・学徒動員やそれに伴う殉難、全校舎倒壊など多くの苦難と混乱に翻弄されましたが、戦後は総合制高校の「福井市立高等学校」として新発足。昭和24(1949)年には学区制により、「福井県乾徳(けんとく)高等学校」と校名を改め県営へ移管。昭和33(1958)年4月には、商業課程のみの福井県唯一の単独高校「福井県立福井商業高等学校」となり、名実共に我らの「福商」として伝統ある校名が復活し今日に至っています。
白山連峰を遠望し澎湃として九頭竜川が流れる、緑豊かな福井平野は西北にあたる乾の地に白亜の学び舎のもと、静かな環境の中で産業の道を求めて人格の形成に励み、今日まで34,000余名の高潔で有意な人材を輩出してきた、我ら福商。時まさに21世紀の初めに、輝かしい我が福商100周年の歩みを記念するとともに、創立100周年という節目を迎えさらにこれからの30年、50年の礎ともなるべく「創立100周年記念事業」を実施しました。
記念すべき事業内容は、後輩である現役生徒達の教育活動に直接間接に資する「セミナーハウス福商会館」の建設、我が福商で学んだ同窓生の心の拠り所にふさわしい「100年記念史」の編集発行、同窓生の交流の場としての「式典・祝賀会」「講演・音楽祭」の開催など、多彩で真心のこもったものを企画しました。この事業の推進母体は、同窓会・PTA・学校の三者の一体協同事業として組織する実行委員会が担い、平成19年10月に開催し、厳粛の中に挙行しました。